「カール・ラーション」で検索してこのブログを見てくださる方も多いようなので、1998年12月に、私がスウェーデンの留学先から日本の家族や友人宛てに送ったニューズレター「スウェーデン便り」の記事を再掲します。
一部、2月19日のエントリーとダブる記述もありますが、そのあたりはご容赦ください。
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■カール・ラーションとわたし
このニュースレターをスウェーデンからお送りするのも今回で最後ということで、少し長くなりますが、なぜ私がスウェーデンに来たのか、きっかけについてお話したいと思います。
そもそも「一度は外国で生活してみたい」という夢を持っていた私は、憧れの国イギリスを候補地に考えていました。しかし、イギリスで見たいもの、学びたいことは余りにも幅広く、簡単に絞り切れず、まずは感触をつかんでみようと昨年12月ロンドンに一人旅することにしました。ロンドンでは庭園や美術館を訪ねたり、雑誌で見つけた店に行ったり、旧友と人気のレストランで舌鼓を打ったり、それはそれでとても楽しかったのです。ただ、果たして自分の来るべき場所なのか、どこか決め手に欠けるような気がしていました。
そんな時、地下鉄の通路で見かけて気になった、あるポスターがありました。”Carl and Karin Larsson - Creaters of the Swedish Style”という展覧会のポスターでした。スウェーデンの画家なんて聞いたこともなかったし、スウェーデンという国についても余り良く知りません。それでもポスターの絵をとても気に入ったし、元々訪ねる予定だった美術館で行われていたので、ロンドン滞在の最終日に行ってみることにしました。
会場は美術館の一角を囲った場所にあり、入口で小さなブックレットを渡されました。会場を一歩入ると、カール・ラーションの大きな自画像が展示されていました。そこからです、私がカールとカーリン・ラーション夫妻の世界に魅了されたのは。カールの水彩画、油彩画、無名時代に描いていた本の挿し絵、家庭生活の一こまを描いたペン画、カーリンの手織のタペストリ、刺繍、デザインした家具など、かなり充実した展示でした。また、会場にはラーション一家が住んでいた家「リラ・ヒュトネス」から持ってきた家具やレプリカで構成されたインテリアの再現展示もありました。丹念に見て回ったので、ゆうに三時間は会場にいたでしょうか。
ロンドンからの帰国便の中で、もらったブックレットを広げてみると、略歴やいかに彼らのスタイルが北欧に影響をもたらしたかが紹介されていて、ますます心引かれました。が、展覧会を長時間じっくり見て疲れてしまった私は、絵葉書の一枚すらも買って来なかったのです。どんなに後悔したことか(結局、友人の手をわずらわせて本は手に入れました)。
東京に帰ってから、思いつく限りの洋書店を回り、スウェーデンに関する本を買い漁りました。どこを探しても見つからなかったラーションの本は、スカンジナヴィア政府観光局から教えてもらったあるスウェーデン人の方から入手することができました。少しでもラーションのことを知りたい、スウェーデンの文化にふれてみたいという思いが募り、今年1月から会社帰りに週二回スウェーデン語教室に通い始めました。そして、ついに「行くのはスウェーデンにしよう」と決めたのです。カールが描いた光と風と色をこの目で見てみたい、今も受け継がれているという伝統にふれてみたい、そう思ったのです。
スウェーデンに到着した翌日8月14日、首都ストックホルムの北西、ダーラナ地方にあるスンドボーン村を訪ねました。そこにはカールとカーリンの子孫が作った組織が管理しているラーションの家「リラ・ヒュトネス」があるのです。カーリンがデザインしたワンピースを来たガイド嬢から、一部屋ずつ丁寧な説明を受けながら見学することができました。飽かず眺めた絵そのままに家も庭も残されており、今だに親戚の集まりに使われているそうです。カールが大きな影響を受けたという日本の浮世絵や人形、能面も大切に飾られていました。スンドボーン村には、いかにもスウェーデン風の赤茶色の壁に白い窓枠の家が建ち並んでいました。スウェーデン人の心の故郷と呼ばれているダーラナ地方の森と湖の美しさに私もまた魅了されました。
翌15日にストックホルムに戻り、国立美術館を訪ねました。そこにはカールの出世作ともなった大きなフレスコ画があるのです。そして、題材と図柄が斬新すぎたゆえに国中の論議の的となり、ついには展示を却下された壁画”Midwinter Sacrifice”は、人から人の手に渡った後サザビーのオークションで売りに出され、一時期ある日本人が所有していたそうですが、昨年買い戻され元の位置に飾られていました。後日、カールの絵が収蔵されているヨーテボリとマルメの美術館にも訪れました。
カールが好んで描いた題材は妻カーリンと子供たちとその住まいリラ・ヒュトネスでしたが、身近な題材にとどまらず、豊かな想像力を発揮した大壁画も残しています。明るい色彩、軽やかな筆使い、生き生きした人の表情、光あふれる風景は、18世紀のロココ、アール・ヌーボー、そして日本の美術にも大きな影響を受けたカールの代名詞と言って良いでしょう。また、自らも優れた絵画の才能がありながら、芸術家の夫と大家族を支えたカーリンが創り出したインテリアスタイルは、いまだに目に見える形でスウェーデンに残っています。
1853年に生まれ1919年に亡くなったカールと1859年に生まれ1928年に亡くなった妻カーリン。私から見ると約百年前に生きた彼らは曾祖父の世代にあたります。21世紀を目前に迎える今、やはり前世紀から今世紀にかけて生きたラーション夫妻から学ぶべきものがあるとすれば、人と自然とその美しさへの限りない愛情、そして天与の才能を心ゆくまで捧げきった満足感なのではないかと思います。リラ・ヒュトネスを訪ねた時、私は不思議な懐かしさでいっぱいになりました。彼らが影響を受けたという日本に生まれた私が、ここまで惹かれるのは何かの縁があるのかも、と思ってしまいます。
最近、偶然にもカールとカーリンの曾孫にあたる方と交流を始めることができました。ラーションに出会ったことと四ヶ月のスウェーデン滞在で得た経験をこれからどう生かしていくのか、自分でも全く未知なだけにとても楽しみです。この旅に必要なのは夢を持ち続けること、自分の心のささやきを信じていく力だと思っています。Why not make your dreams come true!
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