今日から始まったミスティカが教える「アート・オブ・ラヴィングタッチ パート1」でアシスタントをしている。
3月にLAで会って以来だったミスティカは元気そのもの。3月よりも更に髪の色を変えて、それが大のお気に入りらしい。私にも「髪、伸びたわねー。長いほうがいいわよ」としきりに言っていた。
実はこの2週間ほど、怒りの感情と格闘していた。その怒りが自分の内側の何か、例えば価値観(大切にしたいこと)を刺激して起きていることは、内心知っていた。だが、怒りを抑圧し、無視するといったありがちな対処法ではなく、その怒りと共に在ることを私は選んでいた。怒りを持っている自分を観て、嫌な気持ちにもなったし、苦しくなって早く手放したいとも思った。だが、そうせずにずっと耐えてきた。
その怒りが内側でふれていたのは、信頼、相手への思いやり、つながりなどの質だ。伏線として、大いなるものへの明け渡し、師(マスター)への信頼、弟子である質なども関係ありそうだ。
怒りが起きたのは私が持っている思い込みや信念とも関係がある。ビジネスをするうえで私が守るべきだと信じている最低限のマナーなどもそれに含まれる。
先週末のサガプリヤのワークショップでの体験とともに、今日、ミスティカによる誘導瞑想や彼女が教えている様子を見て、明確になったことがあった。
「私はとことん内側・内面を探究する」、そして、「内側・内面を探究しようとする人をサポートし、共に学んでいく」ということ。
エゴではなく、素の自分自身であることを受け入れ、自分ではない誰かになろうとしない、ということでもある。
どんな痛みや苦しみであったとしても、乗り越えられないものはない。痛みを作っているのは事実ではなく、解釈だからだ。解釈を変えれば、痛みも消滅する。
痛みを「持つべきものではないもの」「持ちたくないもの(=欲望の否定的対象)」として抑圧してしまったら、その人はその痛みを封じ込めるエネルギーを消費しながら、残りのエネルギーで人生を生きることになる。痛みの数が増えてくると、押さえ込むためのエネルギーの消費も半端でなく増えてくる。そんな痛みの貯金をしても良いことは何ひとつ無い。痛みから逃避するのも封じ込めるのと質としては同じ行為だ。
痛みであったとしても、それも自分の一部である。喜びや楽しさなどいわゆるポジティブ感情だけを歓迎して受け入れ、怒りや悲しみなどネガティブ感情を否定し避けて拒絶するとしたら、その人は今生きていることそのものを半分しか受け入れていないのと同じだ。
そんな本当の自分自身から逃避する人生の何が楽しいというのか。もちろん以前の私も逃避したり拒絶したりしていたが、今の私には理解できないし、受け入れがたい。
今日、明確になったのは、私はそんな逃げ回る生き方はもうしない、ということだ。私はフルに自分自身を生きる。そんな決意を固めた今日一日だった。
もう一つ、この気付きのプロセスで明らかになったのは、改めて師への感謝だった。私には師がいる。なんて幸せなことなのだろう。暗闇の中でさまよっているように感じたとしても、光りが存在することを信じられる喜びを改めて感じた。
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