この話題は以前もDiaryに書いたことがあるが、また感ずるところがあったので書くことにする。
誰かと話していると「行動的ですね」「積極的ですね」と言われることが多々ある。特にDiaryやブログの読者の方々にそう思われているふしがある。
私自身は自分のことを「行動的、積極的である」と特に思ったことはない(identifyしたことがない)。ダラダラしたりサボったりすることもよくあるし、消極的なこともあるからだ。
行動的、積極的に見えるとしても、そうしようという意図は無く、その時々の自分のニーズやウォンツをもとに動いているだけだ。
そして、「行動的、積極的」であることに価値を置いていないので、そういうふうに見られる自分を誇らしいとも他者を羨ましいとも思わない。
(「あの人、やり手だな。スゴイな」と思うことはある。「行動的、積極的」とはまたちょっと違う質のように感じる。)
それにしても、何度も色んな人から言われるので、言う側の心理を感じてみると、言葉の裏にある心理が見えてきた。
・私はあなたのように「行動的、積極的」ではない(なかった)。
・私はあなたのように「行動的、積極的」になれない。
・どうしたらあなたのように「行動的、積極的」になれるか分からない。
ここから分かることは、このコメントを発する人は「行動的、積極的であること」に価値を置いている。そうではない(なかった、なれない)自分を部分的であれ否定している。他者と自分を比較することにより自己価値を低いと感じ、それが程度の差はあれ自己否定につながっている。
ここではたまたま「行動的、積極的」という言葉を例にあげたが、例えば「美しさ」「賢さ」「優秀さ」など、肯定的な価値があるとその人が認める特質のすべてが当てはまると言えるだろう。
今在る自分自身を否定して何が在るというのか。今在る自分を何であれ認めて、受け入れるところから全てを始めることができる。
誰かのことを「行動的でいいな」「積極的で羨ましいな」と感じたら、今一度、自分自身にこのことを問い直すといいと思う。
さて、今の私が言われて嬉しい賛辞の一つは「bitch」(笑)。(決して賛辞とは言えない言葉だが、新定義を世に問いたい・・・
我が社の会計士さん@実は副業から、「bitchにやっちゃっていいんじゃないですか。」とのメールをもらって、「bitch道全開バリバリにいきたい!と思ってます。」と返事したのは私(笑)。
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